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みなさんは、自分探しの旅をしたことがあるだろうか?
自分探しの旅とは
普段訪れない場所へ出向くことで、自分と向き合いながらやりたいことや、生きる目的なんかを探す旅だ。
この記事は、そんな自分探しの旅した過程と、得たものについて書いていく。
目次
心病み、怪しいセミナーとの出会い、自分探しの旅へ!
2015年の私もそんな自分探しにあけくれていた一人だった。
仕事で月の残業が多く、すっかり心が病んでしまった。
「これからの人生、こんなに仕事ばかりでいいのか?」
正直、投げ出したかったけど、私にはやりたいことがなかった。
今、逃げるように辞めたところで行き詰まってしまう事は分かっていた。
この先、どうしたらよいのだろうか?
このような悩みを持ったことがある人も多いと思う。
当時の私は、今の状況からなんとか抜け出そうと、本を読みあさっていた。
いわゆる夢が叶うとか、自己実現みたいな耳障りのいい本を読んでいた。
ある作者のHPを訪れると、セミナーの案内が目にとまった。
それにはこう書いてあった。
〜これから、どう生きるのか〜理想の人生の見つけ方
…怪しい…!怪しすぎる!
タイトルからしていかにも怪しそうなセミナーだ。
でも、怪しいことはわかっていても、「理想の人生の見つけ方」なんて言われたらちょっとくらいどんなものなのか試してみたくなってしまう。
しかもセミナーの代金は3000円
お手頃価格である。
理想の人生を見つけたい!
私は参加を決めた。
怪しいセミナーの開催地は、先祖の地でもある広島
ただ、怪しいセミナーに1人で参加するのは怖かったので、妹のぬくんを誘うことにした。
この時のぬくんは仕事を辞めて、絶賛ニート。
ニートという言葉はあまり良い響きでないので、姉妹は「ハッピーニート」と呼んでいた。
心を病んだ私とハッピーニートの妹。
そんな幸の薄そうな2人が怪しいセミナーに参加することになった。
セミナーの開催場所は広島。
セミナー会場までは新幹線でも3時間はかかる。
普通なら、こんな怪しいセミナーのためにわざわざ出向かない。
それでも、今回訪れようと思ったのは、広島は我々の先祖が住んでいた街だったからだ。
私の祖父母は、戦争で広島から静岡へ逃げてきたのだった。
そんなを聞きながらも、先祖の街に一度も訪れたことはなかったのでこれはいい機会だと思いセミナーに申し込んだ。
少しでも、これからの人生のヒントが欲しい。
怪しいセミナーと先祖の土地…まさに自分探しの旅がはじまった。
セミナーは14:00〜16:30の2時間30分。
その前後は広島観光をしようということになった。
自分探しの旅①広島観光:世界遺産厳島神社
旅のしおりまで作ったのに、当日は新幹線に間に合いそうになかった。

肌寒い、まだ朝の6時前だというのに駅の切符売場めがけて全力で走っていると、ホームレスのおじさんが「まだ54分間に合うぞ!頑張れ!」と、熱い声援をおくってくれた。
そのかいあって、朝の弁当まで購入する余裕がうまれ、わくわくの広島旅行のはじまりとなった。

広島駅へ着き、まずは宮島へ向かう。
ぬくんは広島に行ったことがあって、今回の旅は「絶対に厳島神社に行った方が良い!」と前のめりになって提案してくれたからだ。
厳島神社水は、鳥居が水の上に浮かぶそれはそれは美しい神社のようだった。
広島駅から宮島口駅まで行き、そこからはフェリーで向かう。
フェリーなんて聞くと、身構えてしまうがJRなので、片道大人200円と気軽に乗れる。
JR西日本宮島フェリーで宮島観光|大鳥居に最接近の定期船 (jr-miyajimaferry.co.jp)

船が島へ着き、厳島神社へと歩くと、野生?の鹿たちがけっこういる。
彼らは人によくなついており、我々が近づいても警戒をしないため、並んで記念撮影をした
まるで親友のよう。

祝日ということもあってか、厳島神社への入り口は参拝客でごったがえしていて、姉妹も列に並んで拝観料を払う。
嚴島神社|観光スポット|一般社団法人宮島観光協会 (miyajima.or.jp)
海の上に浮かぶ、鮮やかな朱色の神社は…
枯れていた…。

引き潮であった。
こんなに枯れた厳島神社もなかなかないだろう。
私は写真でも見たことがない、枯れた厳島神社が珍しくて記念に写真を撮った。

美しい厳島神社を私に見せられなかったぬくんは責任を感じ、
「ホントは、ここの床を歩くとね、ピュッて海水が出てくるんだよ!ホントはね、こういう姿なんだよ」と、携帯で水の上にたたずむ厳島神社の美しい写真を見せてくれた。
しかし、引き潮は引き潮で、周辺はビーチのようになっていてなんだか楽しかった。

よく見ると波打ち際で子鹿が、ワカメ的なものをむしゃむしゃと食していた。
餌が足りないのだろうか?
厳島神社の周辺には屋台が並んでいたため、参拝後は牛タンや串焼き、広島名物のカキもたべた。
デザートに鹿のソフトクリームというつぶつぶがいっぱい付いた、グロテスクなソフトクリームもいただいた。

発想のセンスが絶妙で、堂々とDeer Poopと書いてあるのを見てケラケラと笑った。
なんと楽しい旅だ。

この時にはもう、セミナーを受けることなど、何処吹く風な姉妹。
結局、滞在予定時間は40分オーバーしてしまった…。
またフェリーへ乗って戻る。
自分探しの旅②怪しいセミナーで熱狂的信者にツボを売りつけられる…?
会場へ向かいながら、姉妹はセミナー対策をはじめた。
対策といっても事前の勉強ではない。
なにせ初めていく怪しいセミナーだ。
HPにもたくさんの公演DVDが売られていた。
色々理由をつけて、ツボや高い教材を売りつけられるかもしれない。
セミナーを受けにくる人々も、熱狂的な信者で我々にツボを勧めてくるかもしれない。
とにかくツボなのだ。
受付時間前に会場へ着いてしまい、施設に入る人入る人、「絶対にあの人はセミナーの人だ。」とすべての人が信者のように見えてくる魔法にかかった。
時間になってしまったのでいそいそと会場へ向かう。
結論的に言うと…
ツボは売りつけられなかった。
姉妹は怪しいと思っていたセミナーを思いのほか楽しんだ。
テーブルが分かれてており、姉妹は同じテーブルグループになった。
ディスカッション前に自己紹介の時間が設けられ、和気あいあいとした雰囲気で進んでいった。
いつツボの話がやってくるのか?そろそろやってくるか?とむしろ楽しみにすらしていたが、ツボの出番はなかった。
同じテーブルの方もとても良い方たちで、このセミナーのためにはるばる愛知から来たといったら。
「こんなものの為に?」と笑われた。
どうやら熱狂的信者でも無いようだった。
セミナーの途中で「仕事が無くても、ハッピーなら良いじゃないですか。」という話があり、ハッピーニートだ!と、姉妹はくすくすと笑っていた。
セミナー中のディスカッションでは、議題について話すぬくんが少し大人になったように思えた。
私はこのセミナーで、何か持ち帰ろうと真剣であった。
結局セミナー内容は今となっては覚えていないが、講師にこう質問した。
「セミナーのタイトル通り、これから、どう生きるのか?まさにそれのヒントが欲しくてセミナーに参加しました。現在、仕事に時間を奪われて、他のことができません。仕事を変えようにもやりたいことが見つかりません。こういった場合どうしたらよいのでしょうか?」
すごくふわっとした質問で申し訳ないが、当時の私は真剣だった。
そんな質問に講師の方は丁寧に答えてくれた。
「でも、そういった悩みをかかえてる人はたくさんいて、その限られた時間の中で時間を削ってでもやりたい好きなことって何があるのかな?それがやりたいことに繋がるのではないかな?と思います。」
と言われ言葉に詰まってしまった。
私が限られた時間でしていたことは
「なんとかならないかな。」と本を読んで、こうしてセミナーで答えをもらおうとしていたからだった。(情弱)
「趣味でイラストを描くのが好きなら、ほんの少しでも仕事の中に取り入れたら気持ちが変わってくると思うよ。」そう講師は付け加えてアドバイスをくれた。
あ、私考えるだけで何もやってなかった。と気づいた。
3000円は無駄ではなかった。
その後、講師のセミナーが終わると、第二部にはHPには掲載されていなかった恋愛セラピストの夫婦講演があった。
最後まで怪しさはぬぐい切れなかった。
ツボを売りつけられると話していたくせに、最後には同じテーブルだったメンバーとの別れを惜しんで解散した。
ちなみに教材のお知らせや出版した本の紹介、チラシは分厚い封筒で渡され、たんまりもらって帰ってきた。
自分探しの旅③袋町小学校平和資料館
話はセミナー前に戻るが、会場前の空いてる時間で隣にある元小学校の資料館を訪れていた。
袋町小学校平和資料館だ。
袋町小学校 平和資料館 (city.hiroshima.jp)
原爆の資料があって、おじいさんが丁寧に説明してくれた。
当時の校舎の一部を保存し、資料館としたらしい。
そこには黒い壁があって、チョークでびっしりと文字が書かれていた。
当時、袋町にあった唯一の鉄筋コンクリートでできたこの小学校は原爆後も形を残しており、真っ黒になった壁を安否確認の場所として使っていたそうだ。
セミナーの後に、ドーム近くにある平和記念資料館にもいく予定だったが、こんなところにも様々な資料があった。
すごく心に残った場所だ。
自分探しの旅④初めての原爆ドーム:平和記念資料館の展示と現在の街並み
原爆ドームは、そこだけオーラが違っていた。

ほぼ、当時の姿のまま残っている原爆ドームは、見ていて心が重くなるという感じではない。
ただ、そこに怒りも悲しみも包んで、平和の中に静かにたたずんでいるという感じだ。
原爆は、1945年8月6日午前8:15にこの建物から160mほどの場所に投下された。
少しの時間だが、広島平和記念資料館にも訪れた。
館内には丁寧に”遺品”が展示されていた。
人々の悲しみや苦しみが、そして願いが、静かに静かに展示されていた。
遺品と一緒に本人の写真もあった。
服などのモノだけではなく、髪の毛や爪などの体の一部まであった。
本当に衝撃的なものだった。
ここにくるまでは、教科書などの本に書いてあるような1つの知識のような…どこか他人事感があったかもしれない。
祖父が祖母が、「戦争の頃は大変だった。」「あんなのは2度としてはいけない。」
そう聞かされて来ても、言葉としては理解してもどこかピンときてはいなかった。
しかし、目の前にある残虐な光景に、確かにこの町に落ちたのだということを感じることができた。
目の前に当時の姿が映った。
海外の観光客の人がカメラで展示を撮影していたが、私はとてもじゃないが、そんな気分にはなれなかった。
あまりの衝撃に、体が動かない。
戦争は繰り返してはいけない。
そのために何よりも忘れてはいけない。
そのために伝えなければならない。
展示からはそんな使命感も感じ取れた。
ほんのわずかな時間だったが、この先忘れることはないだろう。
帰りの足取りは当然重かった。
実物を見ると、現実味がわいてくる。
衝撃の空間から一歩出ると、広島の街はクリスマスのイルミネーションで街がきれいに飾られていた。
何気ない顔で、コートを着た人が行き来し、車が通りすぎる。
それは、とても不思議な感覚だった。
あの地獄の街並みがこんなにも平和に、にぎやかになっているのは当時の方々は想像もつかなかっただろう。
私たちは、知らず知らずのうちに命のリレーの中で生きていたのだ。
やりたいことの答え…焦って答えなど、すぐに出さなくてもよいじゃないか。
少しずつ前に進もう。
姉妹は少し歩き、最後に広島焼きを食べに行くことにした。
ビルの同じ階にいくつかお店があるのだが、どこのお店にしようか悩んでいる時に、おばちゃんが「おいで。」と手招きした。
まさか、そのおばちゃんも我々と同じお客さんだとは思わなかったのだが…。
一緒のカウンターにいた外国人の方と写真を撮ったり、みんなで目の前で焼かれた広島焼きを食べて満喫した。
アツアツの広島焼きはとても美味しかった。

おわりに
自分探しの旅で広島まで行って何か変わっただろうか?
結論は何も変わらなかった。
自分探しの旅をしても何も見つからないというのは、よく言うが本当だった。
結局、自分探しの旅をして、何も変わらず帰ってきた。
少しセミナーへ行ったくらいでは、気付きはあっても人生に大きな変化など起きない。
与えられるものより、自分で答えを出せるように動くというのが大切なのだ。
ただ、それをきっかけにこうして旅に出る事ができた。
普段は行かない場所、セミナーに行かなければ会えなかった人、広島のこと、いのちの大切さ、さまざまなことを感じ体験をすることができた。
むしろ、怪しいセミナー万歳ではないか。
今でも思い返すと楽しくて、あんなこともあったねと話すことができる。
そんな旅ができたのはとてもいいことだったと思う。
海外に行かなくても、バックパッカーにならなくても素敵な旅はできる。
何も変わらないとわかってはいながらも、普段ならいかない場所へ自分探しの旅をしてみることをおすすめしたい。
単なる寄り道で終わるかもしれないが、そうやって寄り道を繰り返して、理想の人生を見つけていく。
この旅で出会ったたくさんの人、温かい人、もう2度と会えないかもしれないけど、私は忘れない。
ありがとう。
言い忘れていたが、タイトルの7万円は何かというと、姉妹の往復の新幹線代である。
これはすべて私が支払った。
だってぬくんはハッピーニートだったのだから。
ちなみに、広島で食べたもので一番おいしかったのは「にしき堂の生もみじ」だ。
ただのもみじまんじゅうとは違う、もちもちとした触感が本当においしかったので、広島へ行ったら絶対に試してみてほしい。